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ガジェット好きのアマチュアサイクルフォトグラファー

AIエージェントで仕事が早く終わった日、人間は何をすべきか

Claude Codeを使ったAIエージェント開発が、自分の仕事にも本格的に入り始めた。

Claude Codeは、コードベースを読み、ファイル編集やコマンド実行まで支援するエージェント型のコーディングツールだ。

正直、驚いている。

思っていたより、仕事が早く片づいてしまう。

ゴールデンウィーク明けに「これは少し時間がかかるだろう」と思っていた業務も、気がつけばかなり進んでいた。もちろん、AIが全部を勝手にやってくれるわけではない。こちらが目的を決め、材料を渡し、結果を確認し、必要なところを直す。その手間はある。

それでも、仕事の進み方は明らかに変わっている。

これまでなら、手を動かす時間そのものが大きな壁だった。調べる、整理する、書く、直す、形にする。そうした作業のひとつひとつに時間がかかっていた。

ところがAIエージェントを使い始めると、そこがかなり圧縮される。

すると、少し不思議なことが起きる。

仕事が早く終わるのは、うれしい。

でも同時に、「では、この後の時間をどう使うのか」という問いが出てくる。

夕方の街を歩き出すイメージ 仕事が早く片づいた後、まだ外が明るいことに気づく。そこから次の問いが始まる。

早く終わった後に、何をするのか

今日も、業務が想定より早く進んだ。

朝から淡々と仕事をして、必要な作業をこなし、少し残業もした。それでも18時の時点で、外はまだ明るかった。

「まだ明るいな」と思った。

そして、次に思った。

この時間を、どう使うのか。

単純に考えれば、空いた時間にさらに仕事を詰め込むこともできる。AIで作業が早くなったのだから、そのぶん次のタスクを入れる。さらに効率よく、さらに多く処理する。

それはそれで、会社員としては正しい場面もある。

でも、それだけでいいのだろうか。

空いた時間に、また別の仕事を詰め込むだけなら、結局は忙しさの再生産になる。AIで早くなったはずなのに、人間は前よりも詰まっていく。処理量だけが増えて、考える余白や、次の発想のための時間は残らない。

それは少し違うのではないか。

今日、そこを考えていた。

作業が片づいた後の机のイメージ AIが作業を進めてくれるほど、人間側には考える余白が戻ってくる。

忙しさで隠れていた問いが出てくる

AIエージェントで作業が早く終わるということは、単に便利になるという話ではない。

これまで忙しさで隠れていた問いが、表に出てくるということでもある。

自分は、何を作りたいのか。

何を解決したいのか。

どんな未来を見たいのか。

誰の困りごとを、どこまで見えているのか。

手を動かす作業だけで日々が埋まっていると、この問いは後回しにできる。とにかく忙しい。とにかく目の前の作業を終わらせる。それで一日が終わる。

けれどAIが作業のかなりの部分を押し進めてくれるようになると、目の前の処理だけでは時間が埋まらなくなる。

そこで問われるのは、作業者としての能力だけではない。

何を問いとして立てられるか。

何を構想できるか。

どんな経験を持っているか。

ここに、人間側の差が出てくるのだと思う。

「インプットが大事」は、少し危ない言葉でもある

こう書くと、結論は「インプットが大事です」という話に見えるかもしれない。

たしかに、インプットは大事だ。

新しいことに触れる。やったことのないことを試す。人と話す。現場に出る。身体を動かす。そうした経験がなければ、AIに渡す問いも、作りたいものの構想も痩せていく。

ただ、「インプットが大事」という言葉は、かなり便利で、少し危ない。

YouTubeを見る。

SNSを見る。

ニュースを眺める。

ガジェット情報を追う。

それらも、広い意味ではインプットと言える。けれど、それだけで次の価値につながるとは限らない。

ただ情報を消費しているだけなのに、「インプットしている」と思えてしまうことがある。

ここは気をつけたい。

本当に必要なのは、情報量を増やすことではなく、経験に基づく問いを増やすことだと思う。

自分の現場課題とつながっているか。

次に作りたいものとつながっているか。

誰かの困りごととつながっているか。

身体を動かして見た景色や、実際に話した人の言葉とつながっているか。

そこにつながっていないインプットは、気持ちよく時間を使ったように見えても、次のアウトプットには届きにくい。

カメラを持って歩く夕方のイメージ 机の前だけでは拾えないものを、外に出て身体で受け取る。

自分にとって有効なインプット

自分の場合、有効なインプットは大きく3つあると思っている。

ひとつ目は、自分の課題に接続する技術探索だ。

AIツール、写真、3D関連の技術、日々の小さな自動化。こうしたものは、外から見るとばらばらの趣味や仕事に見えるかもしれない。

でも、自分の中ではかなり地続きになっている。

AIで開発を進めること。写真や3Dで現実を記録すること。日々の仕事や個人活動の中で、もっと楽に、もっと正確に、もっと共有しやすくできる部分を探すこと。

新しい技術を眺めるだけでは足りない。

これはどんな不便を減らすのか。

どんな負担を軽くするのか。

どこまでなら実際の場面で使えるのか。

そこまで考えて初めて、自分にとってのインプットになる。

ふたつ目は、身体を使うインプットだ。

机の前でAIを触っているだけでは、発想が少しずつ痩せていく感覚がある。

写真を撮る。

散歩する。

自転車に乗る。

レースを観に行く。

現地で人の動きや空気を見る。

そういう時間は、効率だけで見ると遠回りに見える。でも、あとから考えると、そこにしかない材料がある。

夕方の空の明るさに気づくことも、帰り道の街を歩くことも、カメラを持って外に出ることも、次の文章や発想の入口になる。

三つ目は、人と話すインプットだ。

AIエージェント開発は、一人でも進められるように見える。

実際、かなりの部分は一人で進む。仕様を考え、コードを書き、動かし、修正する。AIが相手なら、深夜でも早朝でも付き合ってくれる。

でも、「誰が困っているのか」「どこで現場が詰まっているのか」「何を変えると組織が動くのか」は、人と話さないと見えない。

ここを軽く見ると、技術的にはよくできているけれど、誰も使わないツールができる。

AI時代だからこそ、人と話すことの価値はむしろ上がるのかもしれない。

会話とメモのあるカフェテーブルのイメージ 人と話す時間も、次の構想につながる大事なインプットになる。

外に出る時間を、ただの余暇にしない

休日に見た勝間和代さんのYouTube「〖1日2時間労働〗勝間和代が"なるべく仕事をしない"を選んだ本当の理由 | 限界突破ライフハック #20」でも、仕事以外の時間を人との会話、食事、ゴルフなどに使い、身体を動かしながらインプットしているという趣旨の話があった。

ただ、そこで感じた方向性は、自分の感覚とも重なった。

仕事以外の時間は、ただの余った時間ではない。

次の仕事の材料になる時間でもある。

もちろん、休むことも大事だ。何かの役に立つから外に出る、という考え方だけでは息苦しい。

ただ、自分の場合は、写真、散歩、レース観戦、現地体験のような身体性のある時間が、結果的に次の発想につながることが多い。

机の前だけでは見えないものがある。

画面の中だけでは拾えない違和感がある。

人と話さないと分からない詰まりがある。

AIで作業が早くなるほど、そういう時間を意識して取りにいく必要があるのだと思う。

忙しさは、価値ではなくなっていく

AIによって、作業時間はこれからどんどん短くなる。

すべての仕事が一気に変わるわけではない。現場には制約があるし、確認も責任も残る。AIに任せられないことも多い。

それでも、少なくとも自分の周りでは、仕事の進み方が変わり始めている。

そのとき、人間に残るのは、忙しさではない。

何を見たか。

何を感じたか。

誰と話したか。

どんな現場を知っているか。

そして、何を作りたいと思っているか。

AIエージェントが作業を進めてくれる時代だからこそ、人間側のインプットと構想力が、これまで以上に問われるのだと思う。

今日の18時、まだ外は明るかった。

たぶん、こういう時間をどう使うかが、これからの差になる。