spacevision

ガジェット好きのアマチュアサイクルフォトグラファー

仕事と趣味の境界線が溶ける時代に、自分の名前で活動するということ

今日の仕事の打合せで、少し不思議な感覚になる場面があった。

仕事と趣味の境界線が溶ける机上のイメージ 仕事と趣味の境界線が、少しずつ点群のように溶けていく。※イメージイラスト

ある会社の方と、フォトグラメトリーや3D Gaussian Splattingソフトの話をしていた。業務上の打合せなので、ここで書ける内容はかなり限られる。ただ、写真から3Dを作ること、現実のものをデジタル空間へ持っていくことについて話していた、というくらいなら公開情報の範囲に収まると思う。

その打合せのあと、雑談に近い流れで、来週東京で開催される、ある3D系フォーラムの参加者名簿に、私の名前があることを言われた。

一瞬、少しだけ体が固まった。

そのフォーラムには、仕事としてではなく、趣味として参加するつもりだったからだ。自分の中では、業務の打合せと、趣味で参加する3D系イベントは別の引き出しに入っていた。ところが外から見ると、同じ名前の人間が、同じ3D技術の周辺にいるだけである。

考えてみれば、何も不思議なことではない。

私は普段から、SNSでもブログでも、本名や顔を出して活動している。写真を撮り、ロードレースを観戦し、カメラやガジェットやAIツールのことを書き、最近は3D Gaussian Splattingにも関心を持っている。公開情報として名前を出している以上、どこかで仕事の自分と趣味の自分が重なるのは、むしろ自然なことだ。

それでも、少し恥ずかしかった。

悪いことをしているわけではない。むしろ、趣味で学んでいることが仕事の関心領域と近いのは、技術者としては悪くない状態だと思う。けれど、仕事の相手から「そちら側の自分」を認識されていた瞬間、見られるつもりのなかった角度から見られたような気持ちになった。

これは、写真や自転車でも何度か感じたことがある。

サイクルイベントの現場で会う人と、仕事の場で会う。カメラを持っている時の自分ではなく、会社員としての自分で向き合う。いつものサイクルジャージ姿や、レース会場でのカメラマンとしての顔を知っている人と、会議室や業務の文脈で話す。そういう時に、なんとも言えない気恥ずかしさがある。

たぶん、人格が分裂しているわけではない。

仕事の自分も、趣味の自分も、SNS上の自分も、同じ人間である。ただ、見せている面が違う。写真を撮っている時には写真の目で世界を見ているし、自転車の話をしている時には観戦者や撮影者として考えている。仕事では、当然ながら会社員としての責任や制約がある。

その面が、ある日突然、外側から一本の線で結ばれる。

今回の違和感は、相手の行動そのものに対するものではないと思う。フォーラムの参加者名簿に名前があって、それを見かけた。3D技術の話題の中で、雑談として触れた。それだけかもしれない。

むしろ、自分の中にあった境界線が、思っていたより外からは見えていなかったことに驚いたのだと思う。

実名発信で自分の輪郭が少しずつ見えていくイメージ 写真、自転車、3D技術、ブログ。別々の関心が、外からはひとつの輪郭に見える。※イメージイラスト

実名で活動することには、良い面がある。

発信に責任を持ちやすい。ブログの記事が、そのまま自分の信用につながる。写真を撮る人、ロードレースを観る人、AIツールを試す人、3D技術に興味がある人として、少しずつ自分の輪郭ができていく。実名で続けているからこそ、偶然の接点が生まれることもある。

一方で、見えすぎることの怖さもある。

何に関心があるのか。どんなイベントに参加するのか。どんな技術を追っているのか。どんな会社や人と接点があるのか。自分では「ただの趣味」と思って出している情報も、外から見ると行動予定や関心領域の地図になる。

これは、実名発信をやめれば解決する、という話でもない。

匿名であっても、継続的に発信していれば、関心や行動の癖は見えてくる。逆に、実名だからこそ得られる信頼や、現実の人間関係につながる面白さもある。私の場合、写真も自転車も3D技術も、完全に切り離して生きるほうが不自然だ。

境界線が溶けるなら、溶けたことに気づかないふりをするより、その境界線をどこに引き直すかを考えたほうがいい。

公開してよいこと。公開しないこと。仕事として語ること。趣味として語ること。自分の体験として書けること。会社や相手先を巻き込むので書かないこと。

実名で活動するというのは、何でも開けっぴろげにすることではない。

自分の名前で出す情報の範囲を、自分で設計し続けることなのだと思う。

今日の出来事は、少し気持ち悪く、少し恥ずかしく、でも少し面白かった。

仕事と趣味が近い領域にある人にとって、これからこういう場面は増えていくのかもしれない。技術者としての関心、個人としての発信、会社員としての立場。それらを完全に分けるのは、だんだん難しくなっている。

だからこそ、隠すか、開くか、だけではなく。

どこまで開くか。どんな文脈で開くか。誰かを不用意に巻き込んでいないか。

その線を、毎回ちゃんと見直していきたい。

などと、ここまで考えたうえで。

出かける前にTシャツを選ぶイメージ 境界線について考えた末に、最後はTシャツを選ぶ。※イメージイラスト

来週のフォーラムには、アフィーラのTシャツを着て行こうかと思っている。

もちろん、会社を代表して参加するわけではない。あくまで一人の参加者として行く。ただ、いろいろな文脈が少し見えてしまうことを考えると、隠すより、少しだけ自覚的に引き受けてしまうほうが自分らしい気もしている。

皮肉でもあり、ちょっとした戦略でもある。

結局、境界線が溶ける時代のいちばん現実的な対処は、Tシャツを一枚選ぶところから始まるのかもしれない。